小さな頃の思い出。
2002年8月7日物心ついたときに
母親はわたしを置いて出て行った。
気がついたら離れて暮らすのが当たり前になっていた。
母親がいないこともまして父親がいないことも全く何の疑いもなく普通の事として育った。
それが変だと気がついたのは小学一年生のときである。
それまで時々は帰って来ていた母親が全く帰ってこなくなる。
東京へ働きに(多分男を追いかけて)行っていた。
駅へ見送りに行った覚えがある。
わたしは泣かなかった。
それほど彼女に愛情をおぼえていなかったからか
彼女がいない日常に慣れていたからなのかはわからない。
ただ「この子は泣かない子だね」と
イヤミげに言われたのは記憶にある。
入学式をすませて少しした頃だった。
彼女は男の子が欲しかったらしく、
わたしに男の子の洋服を着せて
茶色いランドセルを持たせた。
入学式も男の子用のスーツだった。
リュックサックも学用品も全て男の子のものだった。
わたしはそれがいやで登校拒否も起こしかけ、
そのためにいじめに遭う。
彼女は男の子が欲しかったとよく言っており
わたしはそのたびに傷ついた。
彼女が東京へ行った後
わたしは円形脱毛症になってしまう。
見た目にもわかるほどのハゲが、頭のてっぺんに出来た。
曲がりなりにも母親の不在はさみしかった。
心細かった。
その後母親とは小六になるまで別れて住むのだが、
母親からの手紙は一方的に来ていた。
わたしは一切返事を書かなかった。
母親からの手紙の内容は
いつもこんな言葉でしめくくられる。
「お母さんは早くあなたと一緒に暮らせるように頑張っています」
「もうすぐ一緒に暮らせます」
早くって、いつだろう。
もうすぐっていつだろう。
小さなわたしは待っていた。
母親が帰って来るのを待っていた。
どんなふうに育てられても
冷たくあしらわれても
男を優先されても
やっぱり母親が恋しかった。
よく夢を見て一人で泣いた。
そんな寂しがりやの少女だった。
わたしは小学三年生になり、
その頃初めて自分の父親の存在を知る。
いつまでも帰らない母親と
さみしがる孫を見て不憫だったのか
祖父母が父親の名前を教えてくれたのだ。
わたしは誰もいないところで電話帳をめくる。
すぐさまその番号に電話をかける。
しばらく呼び出し音。
その後電話口に出たのは
多分、小さな女の子。
わたしよりも幼い声だった。
わたしはすぐに電話を切った。
こわかった。
なんだかすごくこわかった。
それがどういうことを意味するのかわからなくても
わたしはすごく悲しかった。
祖父母は話の折々に父親のことを教えてくれた。
ガソリンスタンドをたくさん経営している。
車を何台も持っている。
家のおおまかな住所。(知ったところでとうてい子供にはいけるわけがない)
テレビに出てくるなんとか言う俳優に似ている。
母親と結婚はしなかったものの、
わたしを引き取りたいといったということ・・・
わたしと何ヶ月か一緒に暮らしていたということ・・
母親のいない日々の中、
父親に期待を持っていろんな空想をしていたわたしは、電話の件がものすごくショックだった。
その頃学校で父の日の作文を書かされる。
もちろん当時父親のいない子供はわたしのほかにいなかった。
「どうしてもお父さんのことを書くのですか」
とわたしが聞くと
教師は「どうしても書かなければいけない」と言った。
わたしは祖父母に聞いた事を総動員し、
それを脚色して書いた。
別れたのではなく、
死んだということにして。
教師はそれを読んで驚く。
「先生が気がつかなくてごめんね」と
小3のわたしに泣いて謝った。
その頃からだんだんと母親には何の期待もしなくなってくる。
母親は東京にいる従妹の運動会の写真を送ってきたりしていた。
娘のところには帰って来ないくせに
従妹の運動会は行っている。
従妹と遊びにも行っている。
のん気に笑顔で写真に収まっている彼女が憎かった。
期待しないとは言っても心の底では
誰よりも母親を求めていた。
しかし母親は帰らない。
そしてわたしが小学五年生の冬休み、
彼女は突然帰って来る。
見知らぬ男を連れて帰って来る。
母親と男とわたしで
新しい家に引っ越すことが勝手に決められた。
祖父母と泣いて別れた。
学校はそのままでいいという。
祖父母との別れはつらかった。
お荷物だと思われていたかもしれない。
不憫だと思われていたかもしれない。
しかし愛情はたくさんもらった。
しつけもきちんとされた。
可愛がられて母親に対するさみしさも薄れた。
二人には感謝の言葉もない。
泣いて泣いて抱き合って別れた。
新しい家はつまらなかった。
母親は男に一生懸命で
わたしは家に居場所がなく苦しかった。
わたしがテレビを見ていると男はわざと消す。
わたしが大事にしていた本を捨てたり
わりといじめられた。
わたしがなつかなかったからだと思う。
母親も「お父さんと呼びなさい」
といったがわたしは呼ばなかった。
それどころか口も利かなかった。
それが憎たらしかったらしく、
わりと早くその生活は破綻する。
その後母親は夜の仕事を初め、
学校に行く朝はいつも寝ていて
わたしは自分で朝ごはんを作って学校へ行く。
かえると母親は店へ出る支度をしていて、
ご飯を食べるとわたしを置いて仕事へ行く。
そういう生活をしていた。
わたしは好き放題に夜を過ごした。
といっても子供なので遅くまでテレビを見るとか、
お菓子を食べるとかそういうことしかできなかったが。
そしてわたしが小六になるころ、
また引越しが告げられる。
母親はまた男を作っていた。
今度は他県に引っ越すことになるらしく、
わたしは六年生を目前に引っ越すことになる。
祖父母とも引き離され、
今度は友達とも引き離される。
悲しくてたくさん泣いたけれど
母親は自分のことで精一杯。
もうわたしはあきらめの早い子供になっていた。
友達とたくさん会った。
たくさん遊んだ。
いろんな景色を見た。
いろんな場所へ行った。
いろんな話をした。
忘れないように。忘れないで。
最後まで友達の前で泣く事ができなかった。
見送りに来た友達はみんな泣いていて
なのに自分だけ泣く事ができなかった。
「忘れないでね。手紙書くからね」
と何度も手を振った。
彼女たちの姿が遠くなってくると涙がにじんだ。
もう会えない・・・
あなたたちの優しさのおかげで生きてこれたわたしなのに
これから一体どうなるのだろう。
不安が渦巻いた。
小さな頃から一緒だった友達。町。
遊んだ山や川や海。
わたしの父親。
祖父母。
そういう全てに別れを告げた。
ええと・・初めに書いたお話の前の話になります。
もっと細かく書くといろいろあるんだけど・・・
さみしがりで気難しく素直になれない、こんな少女でした。
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