久しぶりのネットです。

昨日までとある小さな島で遊んできました。
小さな港町の漁港まで車で行き、
島から漁船で向かえに来てもらい、
小さな小さな島へ。

毎年行ってる島なんだけど、
海がすごくきれいで、魚がすごくおいしい。
民宿の人はみんな優しいし楽しい。

わたしは泳げないのでずーーっと浮き輪。
浮き輪で浮かんで、水中眼鏡を水面につけ、
顔はつけずに海中を覗く。
これが綺麗!
すんごく透明で、小さな魚も大きな魚も見える。
イカもタコもウニもなまこもいるの!
日光アレルギーがあるらしく、
日焼けしたらすげえかゆくなるので
とりあえず日焼け止めを塗りたくり
何時間も浮き輪で(笑)

PS2のボクの夏休み状態って感じかな。
釣りしたり海で遊んだり
すごく楽しかった。


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介護職で、オンナで
ネット中毒で2ちゃんねらーで
職人。
これが今のわたしです。

もともとはコンピューター関係の仕事してたから、パソコンはすごく好きだった。
しかし当時は今みたいに簡単じゃなかったよね。
難しかった。
しかも凝り性で突き詰めるタイプだったことが災い(?)し
今こんな状態に。

秘密メモはネタ職人関連。


閑話休題

2002年8月8日
2ちゃんねる逮捕者・・・
よかった。捕まって。
猫大好きな自分にはとってもつらい事件でした。
2ちゃんねらなんだけど
あのあたりの板は全く見たことなくって
まとめスレで読み心を痛めておりました。

わたしは2ちゃんねる依存症だと思います。
悪い事はしませんが(笑)
なんつーか匿名性の中にある自分というか、
悪人にもなれうる自分というか、
そういった部分が好きです。
いろんな情報もたくさん仕入れる事ができますし。

好き嫌いが激しいし
カミングアウトしたら友達は減るし、
そういった世界でありますが
わたしは抜けられません。

怖い世界だと思ってらっしゃる方もおられるかと思いますが
そんなところばかりではないです。

おのぞちゃんも言っておられるように棲み分けがきっちりされているんですね。
時に厨房(荒らしのことです)も混ざりますが。
特に今は夏厨が・・・

わたしのいる板はいつも笑えます。
大体わたしはそういうとこしか行きません。
そういったものをネタスレというのですが
わたしはネタスレ大好き人間です。

そこで職人活動してます。
職人の分野はいろいろですが
わたしは画像処理とFLASHを作っています。
FLASHって何?
と思った方は秘密メモ見てね。

しかしわたしも初めて2ちゃん見た時は
すっごく怖かったし、
気持悪くなりました。
まさか自分がハマッてしまうとは全く思いもしませんでした。

ちなみに2ちゃんねる語やAA、半角カナは、
表の世界では絶対に使いません。




物心ついたときに
母親はわたしを置いて出て行った。

気がついたら離れて暮らすのが当たり前になっていた。
母親がいないこともまして父親がいないことも全く何の疑いもなく普通の事として育った。

それが変だと気がついたのは小学一年生のときである。
それまで時々は帰って来ていた母親が全く帰ってこなくなる。

東京へ働きに(多分男を追いかけて)行っていた。
駅へ見送りに行った覚えがある。
わたしは泣かなかった。
それほど彼女に愛情をおぼえていなかったからか
彼女がいない日常に慣れていたからなのかはわからない。
ただ「この子は泣かない子だね」と
イヤミげに言われたのは記憶にある。
入学式をすませて少しした頃だった。

彼女は男の子が欲しかったらしく、
わたしに男の子の洋服を着せて
茶色いランドセルを持たせた。
入学式も男の子用のスーツだった。
リュックサックも学用品も全て男の子のものだった。
わたしはそれがいやで登校拒否も起こしかけ、
そのためにいじめに遭う。
彼女は男の子が欲しかったとよく言っており
わたしはそのたびに傷ついた。

彼女が東京へ行った後
わたしは円形脱毛症になってしまう。
見た目にもわかるほどのハゲが、頭のてっぺんに出来た。
曲がりなりにも母親の不在はさみしかった。
心細かった。

その後母親とは小六になるまで別れて住むのだが、
母親からの手紙は一方的に来ていた。
わたしは一切返事を書かなかった。

母親からの手紙の内容は
いつもこんな言葉でしめくくられる。
「お母さんは早くあなたと一緒に暮らせるように頑張っています」
「もうすぐ一緒に暮らせます」


早くって、いつだろう。
もうすぐっていつだろう。


小さなわたしは待っていた。
母親が帰って来るのを待っていた。
どんなふうに育てられても
冷たくあしらわれても
男を優先されても
やっぱり母親が恋しかった。
よく夢を見て一人で泣いた。
そんな寂しがりやの少女だった。

わたしは小学三年生になり、
その頃初めて自分の父親の存在を知る。
いつまでも帰らない母親と
さみしがる孫を見て不憫だったのか
祖父母が父親の名前を教えてくれたのだ。

わたしは誰もいないところで電話帳をめくる。
すぐさまその番号に電話をかける。

しばらく呼び出し音。
その後電話口に出たのは
多分、小さな女の子。
わたしよりも幼い声だった。
わたしはすぐに電話を切った。
こわかった。
なんだかすごくこわかった。
それがどういうことを意味するのかわからなくても
わたしはすごく悲しかった。

祖父母は話の折々に父親のことを教えてくれた。
ガソリンスタンドをたくさん経営している。
車を何台も持っている。
家のおおまかな住所。(知ったところでとうてい子供にはいけるわけがない)
テレビに出てくるなんとか言う俳優に似ている。
母親と結婚はしなかったものの、
わたしを引き取りたいといったということ・・・
わたしと何ヶ月か一緒に暮らしていたということ・・


母親のいない日々の中、
父親に期待を持っていろんな空想をしていたわたしは、電話の件がものすごくショックだった。

その頃学校で父の日の作文を書かされる。
もちろん当時父親のいない子供はわたしのほかにいなかった。

「どうしてもお父さんのことを書くのですか」
とわたしが聞くと
教師は「どうしても書かなければいけない」と言った。

わたしは祖父母に聞いた事を総動員し、
それを脚色して書いた。
別れたのではなく、
死んだということにして。
教師はそれを読んで驚く。
「先生が気がつかなくてごめんね」と
小3のわたしに泣いて謝った。

その頃からだんだんと母親には何の期待もしなくなってくる。
母親は東京にいる従妹の運動会の写真を送ってきたりしていた。
娘のところには帰って来ないくせに
従妹の運動会は行っている。
従妹と遊びにも行っている。

のん気に笑顔で写真に収まっている彼女が憎かった。
期待しないとは言っても心の底では
誰よりも母親を求めていた。

しかし母親は帰らない。

そしてわたしが小学五年生の冬休み、
彼女は突然帰って来る。

見知らぬ男を連れて帰って来る。


母親と男とわたしで
新しい家に引っ越すことが勝手に決められた。
祖父母と泣いて別れた。
学校はそのままでいいという。

祖父母との別れはつらかった。
お荷物だと思われていたかもしれない。
不憫だと思われていたかもしれない。

しかし愛情はたくさんもらった。
しつけもきちんとされた。
可愛がられて母親に対するさみしさも薄れた。
二人には感謝の言葉もない。
泣いて泣いて抱き合って別れた。


新しい家はつまらなかった。
母親は男に一生懸命で
わたしは家に居場所がなく苦しかった。
わたしがテレビを見ていると男はわざと消す。
わたしが大事にしていた本を捨てたり
わりといじめられた。

わたしがなつかなかったからだと思う。
母親も「お父さんと呼びなさい」
といったがわたしは呼ばなかった。
それどころか口も利かなかった。
それが憎たらしかったらしく、
わりと早くその生活は破綻する。

その後母親は夜の仕事を初め、
学校に行く朝はいつも寝ていて
わたしは自分で朝ごはんを作って学校へ行く。
かえると母親は店へ出る支度をしていて、
ご飯を食べるとわたしを置いて仕事へ行く。
そういう生活をしていた。

わたしは好き放題に夜を過ごした。
といっても子供なので遅くまでテレビを見るとか、
お菓子を食べるとかそういうことしかできなかったが。


そしてわたしが小六になるころ、
また引越しが告げられる。

母親はまた男を作っていた。
今度は他県に引っ越すことになるらしく、
わたしは六年生を目前に引っ越すことになる。

祖父母とも引き離され、
今度は友達とも引き離される。

悲しくてたくさん泣いたけれど
母親は自分のことで精一杯。

もうわたしはあきらめの早い子供になっていた。

友達とたくさん会った。
たくさん遊んだ。
いろんな景色を見た。
いろんな場所へ行った。
いろんな話をした。
忘れないように。忘れないで。

最後まで友達の前で泣く事ができなかった。
見送りに来た友達はみんな泣いていて
なのに自分だけ泣く事ができなかった。

「忘れないでね。手紙書くからね」
と何度も手を振った。
彼女たちの姿が遠くなってくると涙がにじんだ。

もう会えない・・・
あなたたちの優しさのおかげで生きてこれたわたしなのに
これから一体どうなるのだろう。
不安が渦巻いた。

小さな頃から一緒だった友達。町。
遊んだ山や川や海。
わたしの父親。
祖父母。

そういう全てに別れを告げた。
ええと・・初めに書いたお話の前の話になります。
もっと細かく書くといろいろあるんだけど・・・
さみしがりで気難しく素直になれない、こんな少女でした。
生い立ちを綴ってきたけど、
ちょっと休憩しますね。

わたしは現在介護職員です。
日々いろいろな方と出会い、
いろいろな経験をさせていただいています。

何故わたしが介護職員をしようと思ったかというと、
わたしは母親に育てられず
祖父母に育てられた子供でした。

一番甘えたい時期を祖父母と、
一番母親が恋しい時期を祖父母と過ごし
たくさんの愛情と優しさを教えられました。

母親には全く感情を見せなかった子供時代ですが
祖父母によって生かされていたと思います。

なのにわたしは寝たきりになった祖父と再会したとき、
何をどうしていいか全くわからなかったんですね・・
寝たきりになり、人相もじんかくも変わってしまった祖父を受け入れることが出来なかった。
痴呆で寝たきり、
話すことといえば「かゆい」と「うるさい」
それを受け入れてあげられることができないまま
祖父は亡くなりました。
わたしは激しく後悔・・・

祖父が亡くなった後、
今からでも遅くない、と介護の勉強をはじめ、
特別養護老人ホームに就職します。

利用者を祖父母に対するように介護したい、という思いでやってきたけれど、
ホームの金儲け主義と
職員使い捨て感覚についていけず、
どうにかあがいて苦しんだものの
無理やり辞職、
その後公営のデイサービスに転職、
いまは自分の介護が出来る環境で
毎日働ける幸せを感じています。


人のためになる仕事だとよく言われます。
しかしちがうの。
自分のためだと思ってしてます。
心をこめてお世話する、
家族の気持になってお世話する、
あなたが大切だという思いを込めて介護する。

今まで人に迷惑しかかけてなかった自分でも、
人に喜んでいただける、
感謝していただける。
自分の存在意義を見出すため。

家族がいなくてさみしい方や
家族とうまく行っていない方とも
さみしさを感じなくてすむように、
せめてわたしと会っている時間は笑っていただけるように・・・
いつも祖父母の顔を思い浮かべながら仕事しています。
きっと若い頃からいろんなことに耐えて生きてきたであろう人生の先輩たちに
教えられることはたくさんあります。

そしてそれを素直に受け入れられる自分でありたいと思っています。

母親に虐待され
母親に育てられなかったことが、
今になって思えばよかったような気もします。

だってそのおかげで肉体的にも精神的にも強靭になったわけだし(笑)
たくさん感じてきたさみしさやせつなさのおかげで
人に対して優しい自分になれた気がするし。
今も許せないという思いはありますが
一応母親との付き合いはしてます。
いや、全ては結果論ですが・・・


しかし、パソコンつかえる人間でよかった。
もうね、ネット依存症もいいとこなんだよね自分。
2ちゃんねる依存症でもあります。


秘密メモはそれ関連・・・
彼の行きつけのショットバーへ。
当時お酒が好きで、
わりと飲むほうだったわたしはドライマティーニを注文した。
わたしはいつも中に入ってるオリーブまで食べる女だったがおとなしく飲んでいた。
彼はバーボンを飲んでいた。

彼はあんまり飲むほうではなかった。
それも初めて知った。

わたしはカクテルはドライマティーニしか飲まないので何杯かおかわりをした。
しかし、異様に緊張しているためか酔わなかった。
彼の見せる仕草のひとつひとつがいとおしく感じた。

何を話したのかあんまり覚えていないくらい
緊張していたように思う。

彼はあんまり自分のことを話さなかった。
わたしばかりしゃべっていたように思う。

それまでのわたしは男の顔色をうかがうことなど
全くと言っていいほどなかったのだが、
その日は自分が彼の目にどう映っているか、
自分のことを知ってもらいたい、
とか
とにかく彼によく思われたくて
一生懸命だった。

だんだんと会話も途切れてきた頃、彼は小さな包みをくれて、
「付き合ってくれないか」
といった。

わたしはうれしくて泣いてしまった。
返事がなかなか言えなくて、
彼が笑いながら何度も
「返事は?」
と聞いた。

プレゼントの中身はパールのペンダントだった。

わたしはすぐにそれを着けた。

その夜は一緒に過ごした。

部屋に入ったとたんに抱きしめられた。
「ずっとこうしたかった」
と言われて息を呑むほどうれしかった。

なんでずっと相手にしてくれなかったの?
と聞くと
自分のような男と君みたいな若い子が付き合うのは無理があると思っていた、と答えた。

じゃあどうして誘ったの?
と聞くと
誰かに取られてしまいそうな気がしたから、
と。

あまり自分のことを語らないだけに、
彼の言葉には重みがあった。
わたしよりも真っ直ぐで
真面目で、もっと純な人だと感じた。

好きになった人に抱かれるのが
こんなに幸せだなんて初めて知った。

好きな人に抱きしめられるのは心地いい。
愛されていると感じるのは幸せだ。

わたしはすごく遠回りをしてここまで来た。
自分がされたようにこの人を守りたい。
愛したい。
そんな思いは初めてだった。


しかしまたしても色ボケの日々が始まった。
とにかく会えばする。
いつでもする。
会社では今まで通りで、
付き合っているというそぶりは誰にも見せなかった。
だけど好きな人とする行為は全くイヤじゃない。
何回しても飽きることはない。
むしろ心が落ち着く感じ。

避妊はずっとしていた。

年が明けて、
わたしの実習期間があと二ヶ月で終る。
次の実習地は、以前すんでいた地元の近く。
このままだと離れ離れになってしまう。
離れたらきっとダメになってしまう気がしていた。
一緒にいたい。
引き止めて欲しい。

しかし二人とも言い出せないまま
時間だけは過ぎていく。
二人で色んなところへ行った。
たくさん会った。
会っているのに毎日電話した。
手紙も書いた。

わたしが極度のさみしがりで甘えん坊だという事を
彼はよく知っている。離れたらきっとダメになることは彼も知っていた。
しかしどうにもできない。

結婚はまだしたくない。
しかしもしもプロポーズされれば考えられると思っていたが
彼はなにも言わない。

いっそ妊娠すればいいのに、と何度も思ったが
そんな軽はずみなことは出来なかった。

もうわたしは彼なしでは生きていけないほどになっていて、
全ての精神的支えは彼しかなかった。
そんなわたしを重荷に思ったのか、
それともこんなわたしではいけないと思ったのか
彼は別れを受け入れようとしていた。

一緒にいられるのはあと何日、
と言う事をカレンダーに書いて消していく。
思い出作りをするように
色々な場所に出かける。
泊まりがけで行く事も何回もあった。

別れたらわたしはどうなるのだろう。
どんなふうに生きていくのだろう。
なるべく先のことは考えないようにしながら
彼との残された日々を過ごす。

彼はたくさんのプレゼントをくれた。
香水やアクセサリーやバックや靴や。
わたしがひとつも欲しいと言わないのに色々くれた。
わたしはお返しに料理を作ったり
彼のセーターを編んだり
パジャマを作ってあげたりしていた。

彼からもらった香水で今でも好きなのは
エゴイスト。
彼がつけていたものを貰った。
この香水をつけたままシャワーを浴びる時の、
たちのぼってくる匂いが、初めて会った夜を思い出すから。
彼との思い出はもっとある。
シルバーのフレームの薄い眼鏡。
白いセダン。
長身によく似合うグレーのコート。
28センチの大きな靴。
大きな手のひら。
サンローランのライター。
あんなにも好きで、
忘れられないくらいの思い出がたくさんで、
どうやって別れる事が出来るのだろう。


しかしその日は来てしまう。
朝まで一緒にいた。
出発時間のギリギリまで一緒にいた。
わたしは彼の車の中で、
涙が止まらなくて言いたいことすら言えない。
彼も泣いていた。
こんなに好きならずっと一緒にいようよ。
ここにいろって言ってよ。
なのに言葉が出ない。みつからない。
大きな手を握り締めて泣くだけ。

時間は迫る。
車から降りて、もう一度抱き合った。彼の匂いを忘れないように。
きっともうこの胸に抱かれることはない。
最後にキスして、そのまま何も言わずはなれた。
振り向かないで歩いた。
涙で前が見えない。
だけど戻れない。
一生分くらい泣いた。

わたしも彼も状況に酔うことをせず
恋よりも仕事を選んだ。

あの時振り向いて走り出していれば
何かが変わっていたと思う。
しかしわたしはそうしなかった。
結婚するのは早すぎる。
二人ともそういう思いはあった。

だけどもっと一緒にいたかった。
ただ一緒にいたかった。

ただ、好きだった。


まだ続く。


追記・この上司と付き合い始めるまでに、
遊ぶ男がいながらもその他に数人と付き合っていました。
そういう鬼畜なドロドロ話はここでははぶきましたが
いつか反省の意味もこめて書いてみたいです。


・今日はお気にに何人かの方を入れさせていただきました。

四月からわたしは知らない町で暮らすことが決まっていた。
友達のグループの中で地元を離れるのはわたしだけだった。
その夜は友達と朝まで遊ぶ。
時にケンカもしたし、時に男を奪い合ったこともあり、
本当にこんなわたしをよく見捨てずにいてくれたと思いたい友達。
離れるまえになって彼女たちにとても助けられていた自分を知る。
このまま遠くへなんて行かずに、この場所で、
この町で気ままに働いて、
時々遊んで、そんな生活が手に入ったならと思った。
しかしわたしは早く家を出たかった。
あの家にいたくない。
家族の手が届く範囲にいたくない。
遠いところで自分ひとりで生きていきたい。
そういう思いが強かった。

四月、わたしは一人で駅へ。
新幹線と電車とバスと。
同じ市内から一緒に行く人数人と。
知らない町。
知らない人々。
やはり家族がついてこなかったのはわたしだけである。
わたしは一番お金をかけたスーツで入社式に出た。
もうヤンキ―の名残はないと思っていたが
その場にいた誰よりもはっきり言って老けていた(笑)
言い訳をさせてもらえれば・・う〜ん、水っぽかった。
そんな感じ。
周りにいた男の子はみんな子供に見えたし、
こんなまともな会社で友達ができるかどうかもすごく不安だった。
しかし、何処にもこんなオンナはいるもので、
喫煙室で数人の友達が出来た。

寮。
わたしは六つ年上の先輩と同じ部屋。
他人と暮らすのに慣れていたわたしは別に苦しまなかったが
先輩に「一人だけでコーヒーを飲まないで」
といわれ、
「どうしてですか?いいじゃないですか」
と言い返したら機嫌をそこねたらしく、
わりとねちっこいいびりが始まる。
お風呂の時間が遅すぎる、
とか
部屋にいないとか・・・
しかしそれくらい言われること、
わたしには何ともないのだ。
言い返したりは必ずしたが、
それ以外に憂さ晴らしに先輩のいない時に
勝手にCDを聞いたり
写真や本を見たりしていた(オイオイ)

職場でもわりといじめらしきものはあった。
わたしの教育担当の女子職員によくいびられた。
が、それもわたしにはなんともない。
早く仕事を覚えてコイツのミスを発見してやろうという目標が出来る。
幸いわたしは仕事の覚えはよかったため、
出来るようになるといじめも減った。

同期の男の子たち数人とよく遊んでいたけれど
この頃わたしは上司のことを好きになってしまう。
しかし、全く相手にされない。
すさまじく子ども扱いされていた。
いくら迫っても乗ってこない。
電話番号教えてくださいといっても教えてくれない。
笑ってはぐらかす。
しかし彼女はいないらしい。
こういう状況にすごく燃えるたちなので頑張ったのだが、ダメだった・・・

わたしは上司に思いをよせたまま、さみしさのあまり他に彼氏を作ってしまう。

夜の街で知り合ったいい車に乗っている彼。
遊び友達から彼氏へ。
夏も彼と遊んですごした。

あんなに学校は休み勝ちだったくせに、
仕事は絶対休まなかった。
お金が絡むとこうも違うものである(笑)
自分の稼ぎで食っていかなきゃいけないから
それだけシビアになる。
残業も言われれば、もちろん言われなくてもすすんでこなしていた。
休日出勤もする。
それで夜は遊ぶ。
寮の門限は9時。
そんな時間に帰るはずもなく
わたしは無断外泊や門限破りをくり返していた。
(うまくやっていたのでこれは完全にばれなかった)
同室の先輩はもうわたしに何も言わなくなり、
彼氏の話などもわりと気軽に話したりする仲になっていた。
寮の友達とはいつも楽しく過ごした。
毎晩が修学旅行のノリで、あの頃ほんとに楽しかった。
さみしさも心細さも彼女たちのおかげで吹き飛んだ。


遊び半分で付き合っていた彼とは
わりと続いていた。
楽しいけれど
上司のことはいつも気になっていた。
父親を知らない女というのはこういうものなのだろうか。
落ち着いた雰囲気のある年上の男に惹かれる。
なのに付き合うのは自分と同じようなタイプばかり。
いつも相手にしてくれない上司だったけれど、食堂で会えば必ず同じテーブルへ座ったし
社内で見かければ手を振った。

彼の気を引くことなら何でもした。
なのにやっぱり相手にされない・・・・

わたしは遊び半分の彼と半分本気で付き合っていたが、
だんだん会うのがつらくなってきていた。

冬になった。
誕生日が近づいてきていた。
わたしは上司への思いはあるものの
いつも話している調子で
「今月何日、誕生日なんですよ。
19歳になるんです。予定も無いんですよ。彼氏もいないし。なんかくださ〜い」
という。
笑ってはぐらかされ、少し傷ついた。
誕生日には一応の彼氏と会う約束があった。

プレゼントもらってから別れようかと思う自分があさましくもなったが、
このままズルズルと付き合ってもつまらないと思っていた。


しかし、その日、
上司から電話がかかるのである。
声を聞いておどろいた。
そしてその次を聞いてまた驚いた。
会わないか、と。
夜に、寮の近くで待っているから、
出てきてくれないか、と。
わたしらしくなく手が震えた。
声も上ずった。
どうしよう。どうしよう。
泣いてしまうかもしれない。
しかし取り乱すのはおかしい。変だ。
そう思いながら応答する。
しかし泣いてしまった。
うれしくて泣いてしまった。
初めて好きな人から誘われた。ずっと追っていた人から誘われた。


遊び半分の彼氏には、自分から断ることが出来なくて、
友達に頼んで電話してもらう。
ほんとうにごめんなさい。
忘れてください、と。
彼氏はどうにか納得してくれて、
わたしはその夜上司に会いに行くことになる。


一番お気に入りだった白いファーのついたコートを着た。
その下は黒のワンピース。
髪の毛は超真っ直ぐにして、
一生懸命化粧した。
なんどもなんどもカガミを見て、
なんどもなんども深呼吸した。

寮を出て少し歩いた。
角を曲がったあたりに、ずっとあこがれていた白い車があった。
その横に、彼が白い息を吐きながら待っていた。

なんだか泣けてきて、恥ずかしくて、うれしかった。
わたしの今までを棚に上げて言わせてもらえれば、初恋が実ったような気分、とでも言おうか。
声がうわずって胸が激しくどきどきした。
手も震えた。

照れたような彼の顔と助手席のドアをあけてくれた仕草にまたときめいた。

車に乗って、走り出してもわたしは何もいえなくてうつむくしかなかった。
いつものわたしじゃないと言われたが、
ふざけて切り返すことも出来ない。

このまま、このままずっと一緒にいたい。
忘れられない夜が欲しい。

まだ続きます。
どうにか就職先も決定、
あとはきちんと卒業できるかだけど、
勉強は相変わらずほとんどしていない状態。
わたしにとって学校ってどんなところだったろう?
中学から、行けば怒られる、
行かなくても怒られる。
たくさん悪い子がいても一番先に怒られるのはわたしだった。
授業中に平手打ちされたのは数知れず。
とにかく教師たちはわたしが気に入らなかったらしい・・

中学時代が一番体罰がひどかった。
教師からも、親からも。

高校の時は校長室呼び出し、
職員室正座、そんな感じの罰が多かった。
停学には三回なっている。
いつも反省の色が見られないと言われていた。

ただ反抗するのが楽しかった。
怒られたり殴られたりして、殴りかえしたり
ゴミ箱をひっくり返して暴れたり
担任の顔へ靴を投げたり、
わざと見えるところでタバコを吸ったり、
授業中に職員室のコロつきの椅子に乗って廊下を走ったり、
何故あんなにわざわざ怒られるようなことばかりしていたのか。
今の自分ならあのころのもどかしい気持の言い訳も出来る。

かまって欲しかった。
誰かに叱られて、自分は必要な存在なんだと言ってもらいたかった。

きっと、そういう思いが渦巻いて、
表現のしようがなかったんだと思う。

今になって思うのは、母親に愛されたかったんだろうなと言う事。
守って欲しかった。
抱いて欲しかった。
小さな頃からずっと離れて暮らしていた。
わたしは未婚で生まれた子供である。
祖父母に育てられ、小6で強引に母親に引き取られる。
もう十分に自我ができあがっているわたしを
母親と母親の男は受け入れてはくれなかった。
わたしが変に聡いところのある子供だったから気に入らなかったのだろうと思う。

今までたくさんの悪い事をしてきて、
母親に迷惑をかけてきたが
彼女に対して悪いという思いは全くない。
しかし、今のわたしがあるのは
彼女がわたしを産むという決断をしてくれたからに他ならない。
彼女が死ぬまでに一度くらいわたしに謝ってくれれば今までの苦しみは楽になるだろうなと思うが
彼女が謝ることなど絶対ないだろう。
わたしに出来ることはこれから自分が彼女のような
人間にならないことだと思う。

就職の決まったわたしは今まで考えたこともなかった色んなことを考え始める。
それだけ精神的に大人になってきたということか。


しかし男だけは辞められなかった。
さすがに避妊はするようになったが
どうしてこうなのだろう。
それだけしか逃げ道が無かったのだろう。
逃げたくないと思いながらも男に逃げている自分。
幸せになりたい。
幸せになりたい。
だけどまたその場限りの付き合いを重ねる。
「当たり」はまだ現れない。


経験だけは多くなるが好きな人は相変わらずいない。
むなしくてつまらない。
だからまた誰かに出会いたい。
その繰り返し。

しかし不思議と友達には恵まれていた。
あの頃のわたしを見捨てずに見守っていてくれた友達とは今も付き合いが続いている。

そんな不毛な恋愛をしながら卒業式を迎える。

中学の時と同じく、名前を呼ばれても返事はしないで立つ。
その後今までのスライドが映される。
わたしはたくさんのスライドに映っていて、
そのたびに仲間や下級生から拍手が起こる。
赤い髪。
やっぱりそんなに目立っていたんだ。
教師たちもいつもわたしを見ていたんだ。

その日は下級生に花束を貰った。
写真を撮ってくれと何人かに言われ、恥ずかしいがクールに決める(笑)

その後以前付き合っていた彼と話す。
下心はあっただろうが、
最後に一緒に写真をとった。

そして友達の友達に車で迎えにきてもらい
遊びに行く。
夜の街がわたしを待っていた。


まだまだ続くよ。
高校二年生、まだ本気で好きになれる人には出会ってない。
ちょこちょこ恋愛沙汰はあるものの
気持がついていかない。
誰かと付き合うことになっても、
まだ上があるはず、と思ってしまう。
しかし男に振り回され、振り回し、
なのに不思議とうんざりすることはなかった。
基本的にどの男もする事は同じだと思っていたが、
それに至るまでの気持の駆け引きと
ほんの少しのときめきと緊張感が欲しかった。
彼氏はいてもまだ好きな人はいない。そんな状態が続いた。
バイトは相変わらずしている。
出会いはいつも求めていた。
アドレス帳が埋まっていくのがひたすら楽しかった。

友達は確実にきちんと恋をしているのに
わたしだけいつもふわふわ浮いているみたいで
自分なりにどうにかしなければという思いはあった。

時々遊んでいた男の子が事故で亡くなる。
わたしは彼とは男女の関係にはならなかったけれど
親しみやすくて面倒見のよかった彼の家に何度も遊びに行っていたのでお葬式に出た。
それほど親しくなかったはずの知り合いのオンナが大袈裟に泣いているのを見て、
なんだかわたしは泣けなくなった。
こんな歳で死んでいくのはきっと無念だろうな。
苦しいだろうな。
忘れないよ。
と、心で泣いた。

それからしばらく、
わたしは二人の悪い男と知り合ってしまう。
一人は大学の研究室にいて、水産試験場でいろいろ
やっている幾つも年上の男。
すごくいい車に乗っていて、紳士的でお金持ち。
優しい。
そしてかっこいい。
そんなに条件のいい男のはずもないのだが、
まだわたしはそれに気づかない。

もう一人はわりと近所に住んでいて、
鉄工所で働く男の子。

二人から毎晩のように電話がかかり
わたしは急に忙しくなる。

そのせいか、だんだん面倒くさくなってきて、
近所の男の子からの電話に、
「どっちの人?」と聞いてしまう。
しばらくの沈黙のあと、
うまくごまかせずに気まずくなり、
その彼との付き合いは途切れた。

しかし、年上の男との関係はだんだん深みにはまっていくのである。

すごく高いレストランで食事して、
それからホテルへ行く。
そういう付き合い方は慣れていた。

初めて一緒に過ごした夜に、
わたしは体の相性というものを知る。
今まで男はみんな同じだと思っていたが、
それが違う事に気づいた。

それは男も同じだったようで、
わたしたちはわりと頻繁に会うようになる。

男との付き合いの中でわたしは色々なことを知る。
男には少しMの気があった。
わたしに指を入れさせたり
器具を使わせたりした。
絶対に友達にはいえないようなことをたくさんした。

不思議と嫌悪感はあまりなく
ただこれ以上するとどうなるのだろうという好奇心の方が強かった。

その時に自分の気質の中にあるものに気づいた。


男との付き合いはわりと続いた。

お互いに別に彼氏・彼女を作ってもいいという話はしていたが
わたしは彼氏は作らなかった。
男の本当の姿にわたしはまだ気づかない。

ただ男との関係におぼれていた。


わたしは高校三年生になる。
今度も留年は免れた。

寝る男はいてもまだ好きな人はいない。
しかもわたしはまだ避妊していない。

男と会う回数は減ったけれど
やはり会うたびに体を重ねていた。
それほど相性はあっていたと思う。

自暴自棄になりがちで
わたしは自分を大事にすることも、
自分の体を守るすべも知らなかった。
親は相変わらずわたしに無関心で、
しかし毎朝殴りあいはよくしていた。

わたしはこれまで色々な人と付き合っていたが、
自分の生い立ちや自分の家族の話などはしたことがない。
悩みなど話すこともしなかった。
そこまで信用できる他人がいなかった。

わたしはこのままの状態でいてはいけないと思い始めていた。
将来のことなどほとんど何も考えておらず
これと言った望みもない。
しかし、このままではいけない。
普通の恋愛だってしたい。

だけど男との関係は止められない。

しかし男はわたしに実は結婚していることを告げる。
わたしはすごくショックを受けた。
家庭崩壊の原因になりつつある自分!
わたしは小さな頃からそれで苦しんできたのではないのか?
わたしはそのせいで父親のいない子供だったのではないか?
何度となく母親が離婚・再婚を繰り返していたのはなぜか?

その夜に男との別れを決める。

ただ身体だけの関係だったけれど
せつなくてさみしくて、
自分のバカさ加減と
男のだらしなさと
自分のだらしなさに腹が立った。

その頃初めて生理が遅れる。
妊娠していませんように、
こんなわたしが今母になれるはずもない。
わたしの子供にわたしと同じ轍を踏ませてはならない。
どうか妊娠していませんように。


生理は二週間遅れてきた。


わたしにはいいクスリになった。


秋になり就職活動が始まる。
進学など全くお話にならないわたしは、
ぼんやりと遠くにい行きたいと思い始める。
どこか遠くの会社を受けて、
寮なんかに住んで・・・

九月から面接開始の大企業があった。

誰もが無理だと止めるのも聞かずわたしは受けた。

髪の毛はばっさり切った。

面接会場でもわたしは緊張しなかった。
一般常識のテストと数字の読み取りのようなテストを受けた。
コンピューターにはわりと強かったわたしは
データの読み取りも難なくこなした。
面接もはっきりと顔をあげて大きな声で答えられた。
自分なりにいけると思った。

しかし、成績の問題と出席日数の問題がどう出るか・・
それだけが心配だった。


その後採用通知が届く。

教師の話では数字の読み取り、データの読み出しが
記録的に良かったそうだ。

成績以外で評価されたことがうれしかった。

わたしでも出来る、こんな人間でも出来る。


幸せになりたいといつも考えていた。
しかし逃げるばかりだった自分。
自分と向き合えば何か変わるかもしれない。
そう思った。

わたしはまず自分を大切にしなければいけない。
そしてこんなわたしでも好きだといってくれる人に出会うまで
自分を守ろうと思った。

将来大人になった時に恥ずかしくない自分でいたいといまさら思った。
まだきっと遅くない、ハズだ・・


高校編・4へ続く。

高校編・その2

2002年7月30日
どうにか留年はまぬがれた。
わたしは高校二年生になった。
親友とクラスが分かれ、
少しさみしい新学期だった。
しかし、そこそこに遊ぶ仲間が何人かいたため、
まあ不自由はなかった。
対立していた女とはクラスがわかれたため
せいせいしていた。
まだ特定の彼氏はいなくて、相変わらずバイトに精を出す日々。

その頃、通学時にある男の子とよく目が合うようになる。
彼はバンドをやっていて、
わたしはその方面に全く興味がなかったため
知らなかったけれど、
いろんなとこに出ているらしく、
いつも背中にギターを背負っていた。

まだ話はした事がなかったけれど、
同じ学年ということは知っていた。

そして夏、お祭の日に、
その彼と初めて話をした。
わたしは友達数人と来ていた。
お酒も飲んでいた。
彼はテキ屋のバイトをしていた。
わたしはすぐに話し掛けた。
そしてタバコを一本もらう。
彼もわたしのことを知っていて、
どうやったらそんな髪の色になるの?と聞かれた。
脱色したあと、安い白髪染めで真っ黒にして、その後また脱色したら真っ赤になるんだという事を教えてあげた。
しかもその白髪染めは染め粉でなくてはいけないことも教えた。

通学時に大体同じ時間帯でもあるし、
また話をしようと別れる。

しかし、その後彼とまた会ってしまい、
結局朝までみんなと遊ぶ。

わたしはなんとなく気になっていたその彼と知り合いになれてうれしくもあったが、
時々その彼が違うクラスのオンナと一緒に歩いているのも見ていた。

奪ってやろうかなと思った。
自分が幸せじゃないから、楽しそうな二人がうらやましかったのか、
人のものかもしれないと思うから欲しかったのかはどちらともいえない。

彼との話でいろいろ教えてもらった。
彼はバンドでベースを弾いていて
背中に背負っていたりのはベースギターだった。

わたしは全くちんぷんかんぷんで、
市で行われるステージに出るから見に来てと言われてもピンと来ない。
練習を見に来てともいわれ、
その後何度か見に行くのだが、
いつもその、違うクラスのオンナがいた。

うまいとか下手だとかもわからない。
ただ一生懸命な彼を見て、その後時々一緒に帰る程度。
付き合っているわけでもなく、彼に止められるわけでもないのに、
わたしは夜遊びをあまりしなくなっていた。

ひょっとして普通の恋愛をするチャンスかもしれなかった。
だけどいまさら普通の高校生である彼と付き合うのは恥ずかしい気がして、踏み込めない。

車もなくて単車もない。
自転車とバスを乗り継いで彼は通学していた。

そういう男と付き合ってわたしは満足できるのだろうか。

好きかといわれたら好きかもしれない。
まだよくわからない・・・・

しかしあんまりにも普通のただの友達ふうな付き合いに、わたしは我慢できなくなってくる。
彼の家に遊びに行ったときに、
たくさん友達が来ていたんだけど、
こっそりと「二人になりたい」と伝える。

夜になってみんなと別れ、また二人で会った。

そして彼のことを好きなそうな女の話をして、
ソイツと何の関係もないことを聞き出し、
彼に迫った。

わたしのことを好きなら言ってほしい、
そうすればわたしも言う。

彼は口ごもったけれど、わたしは絶対言わせたかった。

その夜はキスだけをして帰った。
彼にとっては初めての経験だったらしい。

朝会うのがなんだか恥ずかしかったが、
普通に話す。
やたらとうわの空な彼が可愛く、
このまま二人でどこかに行きたいような気がしていた。
しかし彼は普通に学校へ行く真面目な人である。
バンドをしているせいで外見だけは派手かもしれないが、
中身は普通の男の子だった。
悪い道には誘えない。
彼の友達とも話せるようになり、
わたしは少しまともになって来た。

彼と寝るまでにそれほど時間はかからなかった。
告白しあってから一週間くらいだったように思う。

彼の初めてをわたしがもらった。

それからしばらくは幸せで、楽しかったけれど
だんだんとわたしは彼に飽きていく。
彼は「そればっかり」したがる。
しかも何度もしたがる。
だんだんとわたしの都合や気持を無視し始める。
そして、いろんなことを試そうとする。

わたしは真面目な彼が好きだった。
一途で一生懸命な彼が好きだった。

彼がこんなふうになったのはわたしのせいかもしれない・・

冬になりわたしは17歳になった。

だんだんと彼とも疎遠になってくる。
通学時に一緒にいても人前で触ろうとしてくる彼がいやで、
わたしは通学時間を変える。
おもちゃにされたくなかった。


もう以前ほど遊ばなくなっていたが、
時々は友達と夜の街へ出る。

家の中は相変わらずめちゃめちゃだが、
親と話さないためそれほどの危機はない。
母親は、彼氏がいる方が悪い遊びをしないからいいと言っていた。
避妊には注意しろと言われていた。
しかし、わたしは今まで避妊したことがなかった。
それでも妊娠しないから、
きっと自分は不妊症なのだと思っていた。


その頃親友もつらい失恋をして、二人でうさ晴らしのように遊ぶ。
二人組みの男と知り合い
親友はソアラに乗っていた男と、
わたしはもう一人のセブンに乗っている男と
二組に別れた。
わたしはその場限りで付き合ったのだが
彼女はわりと真剣にその男のことを好きになってしまう。
わたしが間に入り、
二組で会う計画を立てたり電話をかけたりし、
わりと苦しんでおかげで彼女とその男は付き合い始める。

わたしはまた一人でさみしい日々を過ごす・・


バイト先でよく名刺をもらい、
それに電話番号が書いてあることも多いのだが、
いつも放置していたか捨てていた。
ただ、好みな人がくれたら大事に持っていたりしたが、
自分からかけることはしなかった。

親友の彼の友達と一緒に遊んだりすることはあったが、
やっぱり特定の彼氏はいない。

彼氏がいないほうが身が軽いし、
何よりモテる。
しかし、やっぱりさみしい。

誰かいい人に出会いたいなあといつも思うが、
わたしの行動範囲にいい人なんていない。
出会うのは軽い男ばかりで、わたしはいつもその場限りの恋愛をしていた。

そういう経験を重ねるたびに
初めて付き合って裏切ってしまった彼のことを思い出して自己嫌悪する。
そういう気持をノートにまとめたりしてよく一人で泣いていた。
好きなものは手に入らない。


高校編・3へ続く。




いろいろあったけれど
わたしも高校へ進学することになった。

わりとワルい学校だったため、
クラスには各中学校のワルの代表格が何人かいた。
その中の一人と決定的に対立してしまう。

入試の時にケンカした相手である。
同じクラスになってしまった。

彼女の家は棒組系のヤバイ家だった。

まだ一年生だし、
クラスの結束などもたいしてなかったため、
何人かずつのグループで対立。

わたしは親友とも同じクラスだったため、
明るい彼女を通じてわりと仲間が出来た。

新学期はわりと学校へきちんと行ったと思う。

友達は増えて、いつも一緒にいるのは四人組になった。

その中で、処女はわたしだけだった。
彼とはずっと続いていたけれど
どうしても先に進めなくて、
進むのが恐くて戸惑っていた。
一緒に寝ても最後までは行かなかった。
夏も一緒に過ごしたけれど、
最後までは行かなかった。

それからわたしはある男と知り合う。

友達とその友達と、
夜中まで遊んでいたとき、声をかけてきた数人の中にその男はいた。
初めて見た時は怖いと思った。
話すととても優しくて、すごく背が高くて、
面白くて、
今までの彼しか知らないわたしはすぐに
男に興味を持った。

男は車を持っていた。
車で移動するのはすごく気分がよかった。
わたしと男はその夜に関係した。
思ったよりも簡単に失ってしまった。
今までずっと彼に大事にされていた自分を、あっけなく壊してしまった。

その時はまだ彼と続いていたわけだから立派な浮気である。
罪悪感はすごくあった。
しかし、男との時間は全てを忘れるほど楽しかった。
お金も全然心配しなくていいし、
車で送り迎えしてくれる。
優しいし面白い。
大人の世界にはまってしまった。
彼との連絡は途切れがちになり、
わたしはますます悪くなる。

学校へも行かずに男の部屋へ入り浸る。

男が仕事へ行くのを見送り、
また寝る。
おきて何か食べる。
男が帰るまで部屋で待つ。
その間に家事を少し。
それから一緒にご飯を食べて、
また男におぼれる。

家には時々着替えに帰ったり、お金を取りに帰る。
時々学校。
約一ヶ月くらいそういう時期が続いた。

その後男とうまく行かなくなってくる。
男に新しい女ができたらしい。
そういう男だった。

彼との連絡はほとんどなかったが、
時々電話で話したり、
わたしが今どういう状態にあるか
友達に聞いて知っているらしく、
怒ったりするそぶりはないものの、
その声に表情はなかった。

わたしは男とわかれ、
アルバイトを始める。

彼とは時々電話していた。

そして彼がわたしのバイト先に来るのである。
別れ話をするために。

夜8時くらい、バイトが終ったわたしに彼は会いに来た。
きれいになったと言われた。
気まずかった。
少し話したあと、
わたしは彼に抱きしめてもらいたくて手を伸ばしたが、
彼はわたしの手から逃げるようにバイクに乗る。
送ってくれるものと思っていたわたしは
(どこまでも都合のいい・・)
驚く。

あ、もうダメなのか、と思った。
帰るという彼に何か言おうと思ったが、
涙で声にならない。

悪かったのはわたしだ。
しかしごめんねがいえなかった。

わたしは誰かに愛してほしかった。
無条件で愛して欲しかった。
わたしがどんな悪いことをしても、笑って許して欲しかった。
保護者のように愛されたかった。
それが彼だった。
今まで気づかなかったのに、
その時にそれがわかってしまった。

もうダメなのだ。
彼に嫌われた。見放された。

アクセルを吹かす彼にかける言葉が見つからない。

もう会えないんだね、とふるえる声でつぶやいた。

彼はそのまま無言で走り出した。

わたしを乗せるために買ったバイクが遠ざかっていった。

彼に守られて愛されていた時間を思い出しながら
エンジン音を聞いた。

大事にしてくれてありがとう。
そして、ごめんなさい。
今なら言えるのに・・・・


その後わたしはバイトオンナになる。
学校帰りにバイト、バイト。
だいたい帰宅は9時すぎ。
しかし、きちんと帰っているのだからいい方だと思う。
学校も一応行っていた。

あなたは目立つから、と言われ、
先生の教卓の一番前の席に座らされ、
なのにその席で教師の顔を見ながらパンを食べたりして
いつもあきれられていた。
教師も何人も泣かせている。

そして、今まで少しは効いていたブレーキが、
どんどん効かなくなってくる。
わたしはその後三回補導される。

深夜徘徊と、単車盗難、その後また深夜徘徊である。
当然警察に保護されるわけであるが、
家族が迎えに来なかったのはわたしだけであった。

帰宅すると殴られたり蹴られたりした。
しかしやり返していたのでやられっ放しではない。

バイトもしていたし、お金に不自由はなかったので、
遊び放題に遊ぶ日々がまた始まる。
バイト代欲しさに、夜の店でも週に何度か働き始める。
絶対に歳がばれては困るため、カツラを強制される。
短めのパーマヘアのようなカツラで
わりと年食って見えたため、ばれることはなかった。
一晩店に出て一万円貰っていた。

まだ特定の彼氏はいなくて、
遊び放題にいろんな男と遊んでいた。

もう高校生と付き合うことはなかった。
大人で、お金があって、かっこいい車を持っている人でなくてはイヤだった。

この頃最高に悪かった。
髪の毛はまっかっかのロング。
何処にいても多分すごく目立っていた。

親友と遊ぶのでなく、
夜の街で知り合った友達とよく遊んでいた。

高校一年は、あまりにも忙しく過ぎた。
学校の成績は国語だけはやっぱりよかった。
数学と英語は悪すぎて評価できないと言われ、
これ以上何かしたら退学、
補習に出ないと留年と言われた。


高校編・2へ続く。

中学編・その2

2002年7月28日
中学三年、
やっと親友と呼べる友達ができ、
彼ともうまくいっていた。
しかしわたしはどんどん悪くなっていく。
母親と殴り合いはよくした。
手で叩くと(母親の)手が痛いからと、
わたしはよくモノで殴られた。
母親の男は普通に暴力をふるうようになった。
顔が腫れ、殴られたせいで鼻の血管が脆くなってたのか
よく何もしてないのに鼻血は出た。
七つ下の男の連れ子と二人でよく泣いたりもした。
慢性的な頭痛が続いていて、
保健室で薬をもらう。
それがほとんど毎日なので保険の先生に受信を勧められ、
家に連絡が行く。
母親はしぶしぶわたしを連れて病院へ。
当時まだめずらしかったCTを撮る。
脳波もとる。

「何の異常もありません」
と言われ、母親は怒った。
「こんなに高い金出させて、なんともないなんて
大人を騙すな!」

じゃあ、わたしが頭の中が変だったらよかったのか。
なんともなくてよかった、じゃないのか。
やっぱりわたしは彼女にとってずっとお荷物だったんだろうな。
そういうことをあらためて感じた。

空想はもうしなくなっていた。
逃げ場所があったから
どうにか生きていられたと思う。
もっと小さいときにわりと苦しい思いはしてきたので、
逆境には強いという自信はあった。

早く大人になって、こっから出て行ってやる。
そう思った。


彼と夜中までバイクで走って、
だけど夜は一応家に帰っていたのに、
この頃からわたしは外泊しはじめる。

友達の家だったり溜まり場だったり、
彼の部屋だったりもする。

それでも彼女と話がしたくて学校へは顔を出していた。
彼女は外見は派手だけど
頭はよかった。
「一緒に高校行こう」
といわれ、高校へ行く事を真剣に考え始める。

絵を書くのがすごく好きだったので、
そういう方面が充実した学校へいきたかった。
しかし、もう取り返しのつかないくらいだったわたしの成績ではどこも望めない。
彼女と一緒に勉強しながら
一番近くの高校を目指した。

模試があった。
三教科の模試だったけれど、
わたしはこれですごい点数をとってしまう。
国語だけが、学校で一番、市内で七番目だった。
英語も数学もボロボロ。
五点くらいだった。
その点数を見た国語の教師が、
「あなたは大学へ行って国語の勉強をした方がいい」
と、わたしに言った。
こんなわたしでもできるんだ、と少しやる気も出てきた。
それを家族にも話にきてくれたのだが、
母親は、「今の父親が大学に行っていないので
行かせられないし、余裕もない」
と。
またわたしの夢はひとつしぼんだ。

しかし高校へは行こうと思い、
やっぱり彼女との勉強は続けていた。三年分取り戻す為に。

彼と会う時間も少し減ってきた。

もう家族には頼るまい、と思った。

冬がきて、わたしは15歳になる。
彼と初日の出を見に行く。
初めて見に行った。
家族で出かけることなどなかったわたしにとって、
彼が連れていってくれるところすべてが珍しく、
楽しかった。
山でも川でも海でも、楽しかった。

わたしは恒常的に母親の財布からお金を抜きとっていた。
母親は宗教に凝っており、
お布施を溜めている場所を知っていたので、たやすかった。
そのお金で遊んでいた。
宗教関係の人が家によく来ていて、
その人たちにもっともらしい事を語っている母が憎らしく、
許せなかった。
相変わらず殴り合いはしていた。
当時母親はものすごく大きな仏壇を買う。
それが300万円以上する代物で、
その事をすごく自慢していた。

わたしに使うお金はなくても、宗教には使えるんだと思うと寂しいという思いより
腹立たしいという思いしか残らなかった。


受験。
彼女と勉強していたおかげで
わりと楽に乗り切れた。
しかしわたしは受験会場でも目立っていたようで、
帰り道に因縁をつけられケンカしてしまう。
おおごとにはならずにすんだものの、
その時ケンカした相手とは
入学してもずっと対立するのである。

高校も合格した。
もちろん彼女とも一緒だ。
すべり止めは受けなかった。
だから落ちていたら人生が変わっていただろうなと思う。
卒業式には、彼が迎えに来てくれることになっていた。
親は関係ない。
卒業証書の名前を呼ばれても、
返事はしないで立った。
早く高校生になりたかった。
彼が花束を持ってきてくれ、
下級生が写真を撮ってください、と数人来た。
その時になんとなく泣いてしまった。

教師との思い出などほとんどない。
あきらめずに話し掛けていてくれたのは
定年後に臨時で来ていた
元どこかの校長先生だけ。
その先生とはわりとよく話もしていたんだけど
最後の時に会えなくて残念だった。

わたしの中学時代の思い出は、
彼と過ごした時間、
たった一人の親友と過ごした一年間。

何度も勧誘されて少しは頑張ったクラブ活動くらいかな。

あの当時のわたしを知る教師は、
まともな大人にはならんだろうと思っていたにちがいない。


高校編へ続く。


仕事ではきっちりしてる(はず)なんだけど、
家にいるとぼんやり。
なんかすごい二重人格なんだよねえ。
切り替えが激しすぎるというか、
なんというか・・・
家では基本的に怠け者だし、そういう扱いを受けている。

しかし、子供の頃は、もっと更に怠け者だったように思う。

父親のいない子として生まれ、
祖父母に育てられていた。
現実界が苦しかったせいか、
ものすごく空想癖のある子供だった。
いつもなんだか寂しくて、その寂しさを埋めるように空想する。
自分の本当の父親はすごくお金持ちで、
大きな家に住んでいてわたしを探して近くまできている、とか、
外国に住んでいて今日本にいない、とか。
絵を書いたりお話を作ったりもよくした。

しかしそんな少女も、思春期になり、オトコに走ってしまうのである。

小六でわたしを引き取った後も再婚を重ねる母親、
影でわたしを殴る母親の男、
引越しを繰り返し友達はできない。

学校でもほとんど一人、トイレ友達なんているはずもなく。
しかしクセ毛のおかげですごく目立っていたらしく、
上級生の男の子に目を付けられる。
オンナの先輩からも呼び出されたりしていたんだけど、
わたしに目をつけた男の子がかなりワルだったため、
結果的にいじめからは守られた。

彼と付き合い始めるまでに、かなり時間がかかった。
わたしはまだ中一で、男の子と付き合った経験などなく、
付き合ってくれと言われても、相談する友達もいなかった。
五月に告白され、七月にやっと付き合い始めた。
それも、半ば強引に押し切られた感じで。
わたしは夏休み、ほとんど毎日彼と、彼の友達と遊んだ。
二人きりになるのはまだ恐かった。
そういう付き合いが続き、九月。
わたしは不登校気味になる。
一週間に二日ほど登校すればいいほう。
溜まり場にいけば必ず誰かいて、
そこで過ごす時間の方が何倍も楽しかった。
友達は相変わらずできない。


母親と毎日殴り合いのケンカが始まった。
そのせいで彼もうちの母親に怒られる。
彼の母親もうちに来る。
しかし、まだ、「彼氏」とは名ばかりで、
二人きりで会った事はほとんどなかった。

しかも、彼は三年生で受験を控えている。

いろいろあって、担任にも怒られたりしながら、
彼との付き合いを止めるのはイヤで、
毎朝彼がわたしの家まで迎えに来てわたしを学校へ連れて行く、という約束をした。
学校へは行く、と約束と交換に彼との付き合いを続けてもいいということになった。

わたしは彼の母親にすごく可愛がってもらった。
彼の家へ何度か行くことになるのだが、
そのたびに優しくもてなしてくれた。
彼には三つ下の妹もいて、友達の少ないわたしにはうれしかった。

そうしてだんだんと彼との付き合いは深くなっていった。

十月に入ったあたりで初めてキスをした。
学校で。
「どうしよう」と思うほど、ドキドキしたのを覚えている。
しかし、彼とでよかったとも思った。
ここに来て、初めて彼のことを好きな自分を意識した。
それまでは、恋に恋していた、彼氏のいる自分、に酔っていたのかもしれない。

彼との登校はきちんと続いていた。
彼との恋も少しずつ進展していく。
自分の事が精一杯な母親はだんだんわたしの行動に無関心になっていく。

そんな中、彼は高校受験で忙しくなり、なかなか会う時間がとれなくなってる。
わたしは「一人」が恐かった。
溜まり場で仲良くなった友達の友達や、
他所の中学校の友達、
もっと年上の知り合いも出来た。
友達と遊ぶことも覚えた。


そうしているうち、彼が卒業した。
高校も決まった。
今までのようにいつもいっしょではなくなる。
わたしは激しく泣いた。
会えなくなるわけじゃないけれど、
今の場所での「彼」という保護者がいなくなるのがつらかった。

中二になった。
まだ親友はできない。しかしクラスメイトとはわりと話せるようになっていた。
学校はまた休みがちになる。
今度は母親も何も言わない。
一学期をぼんやり、夏休もぼんやりと過ごす。
相変わらず遊んでいる。
彼とはちゃんと会っている。
二学期も、そんな感じ。
取り立ててどうということもなく、
ぼんやり。
彼がいない学校が退屈でしょうがなかった。
誰もがわたしの「彼」の存在を知っているので
わたしに言い寄る男の子もいなくてつまらなかった。
外へ出ればナンパされた。
しかし、遊ぶことはなかった。
相変わらず溜まり場へは行っている。


冬も特に何もない。
彼は高校が楽しいらしい。
だんだんと会う回数は減る。
しかし、浮気だとか、そういうことは全く考えていなかった。

キスはよくしていたが、それ以上のことを
試してみようとする彼が恐かった。
それが原因のケンカはわりとあった。


だんだんと気持が覚めてきた感じで
また一年。
わたしは中三になった。
わたしのクラスに転校生が来た。
髪の毛を染めて眉毛を剃った女の子。
スカートは長い。
かばんはぺったんこ。
わたしみたいなのがもう一人!
第一印象から、お互いにすごく気になっていて、
帰る方向が同じだったため
思い切って声をかけてみた。

すると彼女もわたしと同じような生い立ちで、
母親のオトコから逃げてきたという。

わたしたちはすぐに仲良くなった。
わたしに初めて友達ができた。

彼女は学校にはきちんと行くほうだったので、
つられてわたしも通うようになる。

溜まり場へは二人で行った。

彼氏と会うよりも彼女といるほうが楽しくなりはじめた。


その頃彼は遠い町へ引っ越してしまう。

歩いて遊びにいけた距離が、電車とバスを乗り継いでいかなければいけない。
人ごみに出るのはわりと苦痛だった。
しかし駅でわたしを待っている彼を見ると、なんだかせつない気がした。

彼はその後バイクを買う。
ワルと遊ぶため、暴走族に入るという目的もあったが、
わたしを乗せるために免許を取りたかった、と言われるとものすごくうれしかった。

彼がバイクを買ったおかげで
また少し彼への気持が盛り上がった。(馬鹿・・・)


しかし友達とは相変わらず遊んでいた。
学校の成績は最低で、高校はどうでもいいと思い始めていた。
つづく。

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